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貴田勝彦

☆ トーク出演☆

 

貴田勝彦(東北コットンプロジェクト、株式会社アグリパートナーズ)

大学で解剖学を40年間やっています。3月11日も大学に行っていたので、被害を近くで見ていないんです。友達や親戚の方も亡くなり、飼っていたペットも助からなかった。もしそこにいれば、何人か助けられたんじゃないのか。それが頭から離れないんです。

そこにいなかったということがずっとトラウマになって、ずっと放心状態でした。

そんなとき、避難所でメンバーの佐藤正巳君と会って話をしたんです。自分たちは、何かの運命で生かされたんだなって。これから多少何かあったとしても、私はもう70歳近いですし、生きても後何年かですよね。

せっかく生き残ったので、生きている間は精一杯やりましょう、と彼と話しているうちに気持ち的に立ち直ったというか。それで避難所のリーダーをやりながら、生活をしてきました。

避難所では会長代理をしていたので最後まで残り、そのあとにJR仮設住宅に移りました。ここでも町内会の役員になりまして、そこで松木君とか静男君とか、綿のメンバーの人たちと知り合いました。最初は、僕はカメラが好きなので、記録的な要員として写真を撮ってくれと言われ、それで参加したんです。町内会の仕事も忙しかったですし、それだけのつもりだったんですよ、実は。

そのうち、みんなが大変そうだったので手伝いとしても参加するようになり、そこで改めてメンバーの人たちとじっくり話して、彼らの思いが、僕の思いと非常に共通とすると思ったんです。荒浜という名前を残したい。そのひとつの手段として、農業の再生をめざしている。僕が思う荒浜の復興と合致したんですね。

みんな地震前は顔見知りではあるけど、ほとんど話をしたことがなかったんですが、メンバーを知れば知る程、自分自身ももっともっと本気になって参加したいと思うようになりました。みんな人間性がいいんですよ。

組合に入るつもりはなく、あくまで縁の下の力持ち的でいようと思いましたが、自分が出来る事を出来る限りやろうと思い、組合メンバーになりました。農業はほとんどわからないので、一回り以上年の離れたメンバーに「じじい、はやく動け」なんて言われながら働いています(笑)。みんな僕にないものを持っているんですよ。

自分は大学に勤めていて、どちらかというと指示を出す方だったから、新しい所で新しい経験をして、ああしなさい、こうしなさいって言われることが、新鮮なんです。段取りが悪いのは自分でわかっているし、下手だけども、仕事をマスターしたい。大変ですけど、充実しています。今、楽しくてしょうがないんですよ。

 

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